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ヒル魔


低く柔らかな声が聞こえた気がした。
ふわふわと白っぽい世界を浮遊するような心地。
頬にあたる温かく優しい感触に無意識で擦り寄った。


「ヒル魔」


妙にはっきりとした声がしてぼんやりとヒル魔は目を開ける。
目の前で赤羽が顔を覗き込んでいて、今サラサラと髪を撫で付けるのは赤羽の大きな手だった。
確認はしたものの眠気に耐え切れずパタリとまぶたを下ろしくるりと寝返りを打つ。
途端にとろりとした眠気に意識が沈み込んで多幸感を感じた。
変わらず髪を撫でる手は優しく、耳元に触れる感触は心地いい。

「ヒル魔、どうした?具合でも悪いのか」
「・・・・・・ん」

殆ど寝かかっているのに話しかけられておざなりに返事を返す。
どうでもいいから寝かせて欲しい。

「休むなら連絡を入れた方がいい」

「・・・・・・・・何時?」
「出かけるまでもう30分もないが」


「・・・・・・はぁ!?」

告げられた声の意味を理解して気分がざっと変色する。
思わず上体をがばっと起こすと多少驚いたらしい赤羽と目があった。

「なんでもっと早く起こさねーんだよ!」

八つ当たり気味に文句を言いながらベッドから降りる。
部屋を見回せば開きっぱなしのノートPCがスリープモードのままベッドサイドに放置してあった。
昨晩寝室に篭ってから急に思いついた作戦をPCに打ち込んでいたのだが
どうやらそのまま目覚ましもセットせずに眠ってしまったようだ。


「ヒル魔、朝食は」
「んな時間ねー。髪セットすんのでギリギリだ」
慌しく制服に着替えながらヒル魔が答えると、例によってフー、と赤羽のため息が聞こえてきた。
「朝食を抜くのは感心しないな、ヒル魔。僕が髪をセットしてあげよう」
「は?なんで」
「君は食事を取ればいい、その間にやってあげるから。多少行儀は悪いが仕方ないだろう」

確かに食べている間に髪のセットができれば時間が短縮されて普段どおりの状態で家を出ることができる。
他人に髪型をいじられるのは微妙だが、器用そうな赤羽のことだ、それなりになんとかなるだろう。
ベルトを嵌めながら分かったと返すと赤羽は寝室を出て行った。

急いで顔を洗って整髪剤諸々を手にリビングに向かうと、すでに食事を終えた赤羽が待っていた。
いつもどーり。
そう注文を付けて用意されていたトーストにかじりつく。
ヒル魔の後ろに立った赤羽は渡されたワックスを手に取りヒル魔の金髪に馴染ませる。
細い髪の奥まで赤羽の指が入り込んできて冷めた指先が地肌をくすぐった。
食べながら微妙な感触に思わず首をすくめる。なんだか無性に落ち着かない。
前髪をかきあげられ立てられていくと、目にかかる邪魔な髪が減っていった。

「食べ終わったらスプレーを振るといい」
髪型というのは自分でセットするより他人がやった方が早い。
10分もかからずにヒル魔の髪を立て終えた赤羽はコーヒーでサラダを流し込んでいる食事中のヒル魔から離れると
向かいに座り満足げによく似合っていると言った。

どうにか食事を終えたヒル魔に、赤羽は制服の胸ポケットから小さな折りたたみ式の鏡を取り出しヒル魔に手渡した。
今時の男子高校生は鏡が標準装備なのか。
ちょっと微妙な気がしたが黙って受け取り小さな鏡面でざっと髪を見る。
なかなか再現性が高く、これなら普段となんら変わらないだろう。
立ち上がりながら目測で適当にスプレーを振って時計に目をやった。
「行くか」

玄関においてあるスポーツバッグにノートパソコンを詰めていると、ネクタイを首にかけながらカバンを持った赤羽が来る。
ふいに思いついたヒル魔は、ネクタイを締めようとする赤羽の手を制して代わりにそのネクタイに手をかけた。
きゅ。と結び目を締めて赤羽を見上げると驚いているようだったから、礼。と短く言ってさっさと玄関を出てしまった。

鍵をかけて追いついてくる足音を聞きながら、なんとなく後ろ髪や耳元に違和感を覚えていて
やっぱ自分がやるのと他人にやってもらうのじゃずいぶん違うものだと思ったりした。


最寄のバス停まで来てバスを使う赤羽と別れる。
別れ際、もう一度よく似合っていると言った赤羽に言い表しがたい何かを感じたが
時間もないしと違和感を振り払った。
自分でセットしておいて似合っているなんて、赤羽は結構ナルシストな奴なんだろうか。


どうにか普段どおりの時間に学校について部室のドアを開く。
中では朝錬2時派の栗田と小結がちょうど休憩しているところで、ヒル魔を笑顔で迎えた。
朝からばたばたとしていたが、ここにきてようやく人心地ついた気がする。

「おはよーヒル魔」

ニコニコと人のいい笑みで栗田がヒル魔に声をかけてくる。
ヒル魔は適当に返事を返してスポーツバックをロッカーに放り込んだ。

「今日はいつもと違うね」
「あ?ちょっと急いでいたからな」

髪型のことを言われたのだろうとスポーツバッグを漁りながら答えたヒル魔に栗田が不思議そうな顔をした。
気配に目ざといヒル魔が気付いて栗田に向き直る。
「なんだよ糞デブ!言いたいことがあるなら言え」
「だってそのぉ〜、急いでたのになんで・・・」

「おはよーゴザイマス!」
「おはようございます」
「「「はよっす」」」

元気のいい声がぞろぞろと飛び込んできてヒル魔は入り口に目をやる。
一年生たちがまとめて部室に到着したのだ。
最後尾にマネージャーのまもりがいて笑顔でおはようと挨拶をした。

「あら、ヒル魔くん。珍しいじゃない」
「どうしたんですか、それ」
「ホントだ。珍し…」

「だからちょっと急いでただけだ!何がそんなに珍しいっつーんだよ!」

イライラと銃を構えたヒル魔にすくみ上がる一年生たちの前にまもりが立ちはだかり、部室が一触即発の状態になる。
「そんなに怒ることないでしょ!ちょっと聞いただけじゃない!」

「ヒル魔」

不意に渋い声が聞こえてきて銃ごとヒル魔が声の主に向き直った。
戸口に気まずそうなムサシが立っている。
「ムサシ!なんだってーんだ!てめーも文句あんのか!」
「いや・・・。ちょっとこっちに来い」
「だからなんだって」
「いいから来い」

言い切られてヒル魔が渋々銃を下ろす。
一年生に着替えとけと告げて部室を出たムサシの後を追った。
近くの男子トイレまで向かったムサシは中に入ってヒル魔に向き直る。
ヒル魔は無言で鏡を指差すムサシに従って手洗い場の鏡を覗き込んだ。


今日初めてまじまじと見た自分はいつも通りに見えた。
髪型もおかしいところはない、ツンツンと逆立った毛先から前髪、襟足。

ヒル魔の口がぱかっと音がする勢いで開いた。
ムサシはさり気なく後方に退避する。

改めて見た鏡の中自分の顔、否、自分の耳元のピアス。
普段付けている2対のリングではなくクロスモチーフの丸い2対のスタッドピアス。
間違いない、これは普段赤羽がつけている・・・


「あンの糞赤目―――――――!!!!!!!!」



やっぱりあのピアス赤羽さんのだったんだ・・・
何がどうなってヒル魔先輩が付けてんだよ
おい、お前聞いてみろよ
はぁ?無茶言うな、普通に殺されるだろ
つか、こりゃあ聞かなくとも殺されそうな勢いだな

遠くから派手にマシンガンをぶっ放す音とあらゆるものが砕け散る音が響いてくる部室で
部員たちは肩を寄せ合い嵐が過ぎ去るのをひたすら祈るしかなかった。







「あれ、赤羽今日のピアス変わってるね」

朝練を終えメットを脱いだ赤羽にマネージャーのジュリが声をかける。
「そんなピアス持ってたんだ」
「けっ高校生がピアスなんてスマートじゃねぇな!」
「うちは校則緩いから別にいいでしょ!」

そのまま言い争いをはじめてしまうコータローとジュリを前に、赤羽が静かに呟いた。
「フー、意外に気がつかないものだな」
「え?あ〜、今日ちゃんと見たの初めてだったから。でも似合ってるよそれ」
ジュリは持っていたボードでコータローの顔を押しのけながら赤羽のピアスを指差す。
「なーんかどっかで見たような気がするんだよなぁ」
赤に映える一対のシルバーリングピアス。

「ああ、よく似合っていたな」

サングラスをかけながら微笑した赤羽に二人は顔を見合わせる。
赤羽はそのまま部室へともどってしまった。


ねぇ赤羽って最近よく笑うようになったよね
けっ、変なきのこでも喰ってんじゃねーの
ばか!あんたじゃあるまいし、赤羽に限ってそんなわけないでしょ
じゃーなんだってんだよ
恋よ!恋に決まってるじゃない!
恋〜?鯉みてーな色しやがって恋〜?
ふざけないで!あのピアスもきっと、贈り物とか・・・

そこまで言いかけて不意にピアスの持ち主に思い当たったジュリは押し黙った。
時を同じくして見覚えあるピアスの持ち主に思い当たったコータローも黙った。

「ねぇな。それはねぇな」
言い切ったコータローにジュリも気を取り直す。
「そ、そうよね。ちょっと考えすぎよね」

部室からギターの音が響いてくるグラウンドで、コータローとジュリは
似合っているかと聞くわけでもなく似合っていたと言い切った赤羽の意図を必死で考えないようにした。