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玄関を開けて漂う香りに眉をひそめた。

今日一日学校でも散々嗅いだ匂い。チョコレートの匂いが部屋に充満している。
甘ったるくてたまったもんじゃない。甘いものが苦手な人間には軽く拷問だ。
イラつきながら玄関に靴を脱ぎ散らかし、リビングに行くと予想外にそこに赤羽の姿はなかった。
てっきりいつものソファーに腰掛けて、貰ったチョコでも食っているのだろうと思ったのに。

担いできたスポーツバックをソファーの横に投げ出すと、背後からお帰りと声がかかる。
振り返ればキッチンから赤羽が顔を覗かせていた。

「何やってんだ、てめぇ」

何を考えているのか、白いシャツに腰下で巻く黒いギャルソンエプロン着用の赤羽。
似合っている。確かに似合っている。しかし自宅で見ると何か激しく場違いだ。
無駄にむかつく。

「フー、何ってチョコレートを作っている」

なんでてめぇが…。
思わず愚問が口を付いて出そうになるのを飲み込んだ。
忘れたわけじゃない。今日は天下のバレンタインデーだ。
男が男に贈る発想は予想外だが、赤羽はそういう常識に囚われないらしい。
マメにイベント事をこなす男だ。

「チッ、チョコとかもういらねーんだけど」

「・・・もう?」

機嫌悪く吐き出されたセリフに赤羽が聞き返す。
変なところに反応を返す奴だと思いながらヒル魔が床に転がしてあるスポーツバッグを足でつついた。
「てめぇだって今日散々もらってきたんじゃねーの?」
ソファーに乱暴に腰掛けるヒル魔を赤羽が静かに見やる。
赤羽が黙ったことに気が付いたヒル魔が赤羽に視線を投げる。
「何ジロジロ見てんだよ」
「・・・僕は今日一つも貰ってない」
「マジで?意外だな。ハブられてんの?」
「正確に言うと、受け取っていない」

ヒル魔がうんざりと天井を仰ぐ。
どうせ、本命以外からは受け取らないとか糞真面目な思考回路をしているんだろうとすぐに思い当たる。
全く、貰える物は全部貰っておけばいいものを。
いかなる事象もフル活用するヒル魔は赤羽のことを非合理的な奴だと思った。

脚を組みなおすヒル魔の横に赤羽が来る。
バサリと黒いエプロンを剥いでソファーの背もたれに投げるとヒル魔の横に座り込んだ。

「それで、君は貰ったチョコをどうする気なんだ」
「どうって、別に欲しけりゃやるけど。俺食わねぇし」
「食べないのに何で受け取るんだ」
「別にいいだろ。くれるって言うんだし」
「君に渡した女の子たちは、君に食べてもらいたくて渡したんだ」
「単に気持ちの問題だろ」
「だから、その気持ちに応える気があって受け取ったのか?」
「あんまりねぇなぁ・・・」
「ヒル魔、どうしていつも君は人の気持ちを考えないんだ」

だってめんどくせぇし・・・。
言いかけた反論が、なんとなく赤羽の逆鱗に触れそうな気がしてヒル魔は口を噤む。
赤羽が怒るのはヒル魔の知ったことではないが、下手すると機嫌が直るまで夕食を作ってくれなくなるかもしれない。
家事のほとんどを赤羽にやらせている上、食事まで作らせているヒル魔は半ば餌付けされたようなものだった。
怒らせずに丸く治めるにはどうしたものかと妥協点を探る方向に思考を切り替える。
切り替えたものの非合理的な思考回路、つまり感情論なんかヒル魔のもっとも苦手とするところだ。
良さそうな答えなんかさっぱり浮かばなかった。

すっかり黙ったヒル魔を見て、反省したと思ったのか赤羽がヒル魔の髪を撫でる。
くしゃくしゃと髪を撫で回されて気が散って、ヒル魔がうっとおしそうに頭を振った。
「ヒル魔、別に君を責めているわけじゃないんだ」
「あー・・・」
脳内フル活用で明後日の方向に行っていたヒル魔は赤羽のセリフを適当に聞き流す。
「分かってくれたらいい。僕も手伝ってあげるから」
「うん?」
「君が、彼女たちの気持ちに応える手伝いをしてあげると言っているんだ」
「どうやって?」
「食べるんだろ?貰ったチョコを」

あ、それでいいのか。
なんて単純な回答だ。こっちは、最悪チョコを渡してきた女全員と付き合うという事態まで想定しかかったというのに。
どこか抜けているような赤羽の理論に若干付いて行けない感を抱きながらヒル魔はスポーツバッグを引き寄せる。
要は自分がチョコを食えば満足だというなら、多少苦手でもここで食べて見せた方が後々の面倒は少ない。
しかも赤羽も手伝うというのなら、なんだかんだ言って殆ど赤羽に食わせてしまえばいいだろう。
それもこれも今日の、そしてこれからの夕食のためだ。

バッグを開けて逆さにし、中身をテーブルの上にぶちまける。
ゴロゴロと30個あまりの箱が山のように積み重なった。
実はバッグに入りきらない分はすでに栗田にやってしまったのだが、あえてヒル魔は何も言わずこれで全部だと赤羽を見た。
赤羽がプレゼントの乱暴な扱いに眉をひそめつつ手近な包みを手にとって丁寧に開き始める。
中から現れた白い箱の蓋を開けると、艶々とした一口サイズのチョコが6つ並んでいた。
赤羽はその一つを長い指でつまみあげるとヒル魔の方を向き直る。
「口開けて」
「・・・は?」
てっきり赤羽が食うのだろうと見守っていたヒル魔がポカンとする。
まさかと思うが赤羽の手伝うっていうのは・・・。
瞬間、ヒル魔が盛大に身を引く。
ソファーから立ち上がらんばかりに逃げを打つヒル魔の肩を捕まえて、赤羽がさも当然そうにのたまった。

「食べさせてあげるから」


真顔で迫られて思わず心の準備が、と口走るヒル魔。
赤羽は片腕でヒル魔をソファーの背もたれに押し付けるように固定してヒル魔の顔を覗き込む。
完全に目が据わった端正な顔で迫られる迫力に負けてヒル魔が恐る恐る口を開けた。
赤羽は覗く牙に当たらないようにチョコを指先で口に押し込むとヒル魔から身を引く。
いっそ丸呑みしようと思ったが、流石にでかい固形物では無理がある。
仕方無しに噛み締めるとカカオの香りが立ち上り、耐え切れずヒル魔は口元を押さえた。
「あ、あま・・・」
滅多に食べないからこそ忘れていた。チョコの一個や二個くらい平気だろうと思っていた。
久方ぶりの甘味に喉が張り付くような痛みを覚えて盛大にむせる。

・・・やっぱ無理。

神速で出た結論を告げようと、どうにか一つ目のチョコを飲み込んだヒル魔が顔を上げると赤羽は既に2個目を構えていた。



その後、嫌がるヒル魔を軽々と押さえつけた赤羽は宥めもせずすかしもせず淡淡と5つのチョコを食べさせきった。
終わってから精根尽き果てソファーにぐったりと横たわるヒル魔の頭をいつものように優しく撫でると
力の入っていない小さな顎に指をかけて仰向かせ、カカオの香り立つ唇に口付ける。
成すがままの薄い舌をなぞって微かに残る甘さを掬って、チョコレートの味が分からなくなるまで弄った。

「コーヒーでも?」
ようやく気が済んだ赤羽が離れてヒル魔にたずねるが、返事は返ってこない。
仕方無しにいつものため息を一つついて身を起こし、赤羽はキッチンへと向かった。
ヒル魔がどうにか身を起こしたのは、テーブルに濃い目のコーヒーが置かれてからだった。
無言でカップを手に取り、自棄のように一気飲みして乱暴にテーブルに置く。
ふと、空のカップとソファーに投げてあったエプロンを手に立ち上がった赤羽に小さな違和感を覚えた。
いつもうっとおしい程相手を気遣う赤羽が、苦手な甘いものを食べている最中にコーヒーも淹れずにいるなんて、何かおかしい。

ぼんやりと赤羽の後姿を見ながら辿り着いた結論は極シンプルで、ヒル魔はだったら最初から言えばいいのにめんどくせぇ奴だと思った。


「なぁ、てめぇもしかして俺にチョコ渡す気?」
「・・・受け取るかは君の自由だ」
振り返った赤羽はいつも通りあまり表情のない顔で言った。
「今から作んの?」
「もう半分くらいできている」

すっかりいつものペースを取り戻したヒル魔はテーブルの上の包みを腕で払って乱雑に床に落とした。
赤羽が眉をひそめるのも構わず目の前にスペースを作ると、そこを満足げに細い指先でコツコツと叩く。

「いいぜ、持って来いよ。俺は苦い方が好みなんだよ」
「・・・・確かにビターチョコだが、どうして知っているんだ?」


ヒル魔はガラスのようにキラキラと好戦的に光踊る瞳で笑う。



「嫉妬の味は苦いって、相場が決まってんだよ」