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適切な温度と湿度。
快適ともいえる室内。
右側に感じる微熱。
どれもこれも穏やかで眠りを妨げるものなどない。何一つ。



「…赤羽?」



ごくわずか空気を震わせる程度に零れた音に反応して
さらりと衣擦れの音が聞こえた。

「眠れないのか」

「てめぇだって」

意味のない会話を一応は交わしてみる。
馬鹿馬鹿しいことは分かっていた。お休みと挨拶を交わしてからどれくらいの時間が経ったのか。
一時間か二時間か、深けし夜の移ろいに心が追いつけないままで。
冴えたわけでも澱んだわけでもない極めてニュートラルな状態は心だけ。
部活をして疲弊した身体は熱を帯びて緩やかに眠りに落ちかかっている。

いつものため息が聞こえてきたと思ったら金髪を撫でられた。
目を閉じたままだったから、僅かヒル魔は身を竦ませる。
しかし髪に指を絡ませてゆっくりと梳くその所作は心地よい。
力を抜いて今一度眠りに落ちようと努力をしてみる。
眠いから。すぐにでも眠れるほどに。

しかしながら何も変わらない精神状態に早々に見切りを付ける。
些かの努力をあっさりと放棄してヒル魔は目を開けた。
すべての輪郭が夜に溶けて曖昧な室内で、異質な赤みを帯びた瞳を見上げる。

「なんで寝ねぇの?」
「キミが眠るまで起きていようと思って」

うそつき

赤羽が言い終わらないうちにヒル魔から零れた言の葉が夜の静寂をいや増した。
元々口数の少ない赤羽といることはヒル魔にとって居心地の良いものだったけれど
今しがた訪れた沈黙は何故かヒル魔の心をかすかに波立たせた。
珍しく次の行動を逡巡していると、小さな音を立ててベッドのスプリングが歪む。

「なんだ?」

「…ごめん。さっきのは確かに嘘だったかもしれない」

ベッドに半身を起こした赤羽が赤い髪を乱雑にかき上げたのが見える。
ヒル魔も上体を起こそうとしたけれど、先に赤羽の手が金髪に下りてきて動きを止めた。

「全部?」

「違う。ただ、」

赤羽はそこで一つため息をついた。
髪を撫でる手は乱れないから、ヒル魔は器用だな、と思う。

「キミの質問に正確に答えていないと思って」

「じゃあ答えろよ」

ヒル魔は赤羽の手をどかして上体を起こした。
赤羽の顔を覗き込んで答えを促す。

「…寝ないんじゃなくて、眠れないんだ。昔から、誰かと一緒に眠ることができない」


知ってる。分かってる。

自分の制御下に置かれない自分を他人に見せることができない。
作り上げた今の自分が揺らいでしまいそうで。

曝せないものばかりで。
本来の色を捨てて、髪も目も赤く。
何もかも全部、嘘で固めた男。
その、色のないアイシールドすら。

それは自分も同じで。
作り上げた自分が大切なのは同じで。


「治るもん?」

「さぁ…。キミは?」


「わかんねーからてめぇに聞いたんだよ」


そう告げると赤羽はようやく納得したような色を瞳に浮かべた。
そして自分を覗き込むヒル魔の肩を抱きよせる。
しなやかになだれる細い身体はなんの抵抗も示さずに腕の中に納まった。
確かに安らぎを覚える人の肌と熱と。お互いの鼓動さえ聞こえてくる。

「もし、治ったら、毎晩こうしていようか」


返事の代わりに顔を上げてそっと唇に口付けてみる。


こんなに近くにいるのに。
許していないわけじゃないのに。



赤羽が腕の拘束を解く。
ヒル魔は一つ瞬いてからゆっくりと赤羽から離れた。

「部屋に戻るよ、明日も早い」
「コンタクトは外せよ」
「ああ、そうする」

一つの物音も立てず、赤羽は部屋から出て行ってしまった。
見届けて再びヒル魔はベッドに身をうずめる。
そして今しがたまで赤羽が寝ていた場所にごそごそと移動して目を閉じた。

せめて、どちらかがこんな風じゃなかったら。
例えば赤羽が自分よりも先に眠りに堕ちるというのなら
きっとそれを見届けて自分も眠ることができたのに。

けれど、どちらかがこんな風じゃなかったら。
二人は触れ合うことすらなかった。


曝せないものばかりで。
何もかも全部、嘘で固めて。
その、サイドテーブルに投げ出された黒いベレッタすら。




俺とてめぇは、笑えるくらい似てんだよ。




インソムニア。

深く拒絶し依存し絡み合う茨の棘が今日も夜を苛む。



それでも

いつか、同じ朝を迎えることができるって
そう思っているのは一人じゃない。