「いいから少し落ち着けよ」
そういって腕を掴むと立ち上がりかけたヒル魔は渋々といった感じで腰を下ろす。
ようやく大人しくなったものの、隣に座るクリフォードには顔を向けずぎこちなく距離を取る有様に心中でため息が零れた。

ノートルダム大学に留学にきたヒル魔を口説き落としたのはつい1ヶ月前。
殊プライベートに関してはミステリアスにも程があった相手からどうにかYESの返事を引き出したのは奇跡に近い。なにしろヒル魔はミステリアスというよりも単純に、こういった方面に非常に疎かったのだ。そのため一般的なアプローチはすべて空振りに終わってしまったのだが、諦めきれず試行錯誤を繰り返した結果フットボール関連のネタなら釣れると気が付いた。
そういう話なら事欠かないクリフォードは、持てるコネを総動員して観戦に誘い鑑賞に誘い挙句の果てには現役のプレイヤーにも会わせてやった。
隣で黒い瞳をキラキラさせるヒル魔の様子はクリフォードの目を充分に楽しませてくれたし、二人でいることに慣れるにしたがってヒル魔は足元にじゃれながら付いて歩く猫のように腕に纏わりながら付いてくるようになった。 これならいけるだろうと交際を迫れば、そういうのはよく分からない的な曖昧な様子を見せたのでここぞとばかりに畳みかけていいから俺と付き合えと言って頷かせた。

そこまでは順調だったのだ。確かに。
仲良しこよしから恋人に昇格してしまえば次なるステップに進みたくなるのは人の定め。
傍にいたいから触れたいに変わるまでは時間を要さなかった。というのはクリフォードだけのようで、ヒル魔はあまりベタベタ触っているとさっさと離れていってしまう。押しに弱い割りに切り替えが早い性格をしているので、気が向かないとすぐに「帰る」に繋がるのだ。うかうか触ってもいられない。
しかも最近は、試合のDVDで釣って部屋に呼んでもそわそわと落ち着きがなくなってしまった。
今もどうにか隣に座りなおさせたものの、彼は気まずそうな顔で床を見つめている。
横顔も整っているので別にそのまま眺めていても飽きることはないのだが、ヒル魔の方が気疲れして帰ると言い出しかねない。下手したらやっぱり別れるとか言い出すだろう。
宥める自信はあるがやはり気分のいいものではない。
どうにかヒル魔に以前のように懐いてはもらえないかとクリフォードは思考を巡らせはじめた。

恐らくヒル魔も疎いなりに付き合うという行為の先にある諸々に気が付き始めたのだろう。
付き合っていれば触れるだけではなくキスもするしセックスもする。
一線を越えることに躊躇しているのだ。
しかし往々にして一旦その壁を乗り越えたら案外あっさり受け入れられるものでもある。
要は最初だけなのだ。回数を重ねれば消し忘れた電気を消すのも面倒になってくるだろう。
もうさっさと押し倒してしまおうかとも思ったが、ヒル魔がそれらを受け入れて気持ちがイイと認識することも重要なので、やはり安易に手を出すのは憚られた。
それならキスくらいならどうだろうか。
様子見でしてみて、まんざらでもなさそうならそのうちどうにかなるだろう。
あまりにも拒絶反応があるようなら少し付き合い方を変えて慣らしていく必要がある。
大体の方針を決めたクリフォードは組んでいた脚を解いた。

「ヒル魔」
声をかけるとヒル魔の長い耳だけがぴくんと反応した。
そろそろとこちらに顔を向ける。
「なんだよ…」
警戒されてはいるが、赤の他人に対するような絶対的な警戒心ではない。
肩に腕を回して顔を覗き込むと流石にびくりと肩が震えたが、逃げるわけでもなくじっと見つめ返してきたのでそのまま口付けた。

唇が触れる直前、彼がぎゅっと目を瞑るのが見えた。
肩にも手にも、彼の身体中あらゆるところに力が入っているのが分かる。
啄むように軽いキスを繰り返して、髪を撫で薄い肩を抱き寄せた。
唇だけではなく頬やまぶたにも唇を滑らせると、彼は瞳を閉じたまま小さく震えるように詰めていた息をそっと吐く。
いくらか力が抜けたのを感じて、クリフォードはもう一度唇に口付けた。
おずおずと開かれた彼の小さな唇から舌を滑り込ませる。
彼の薄い舌の淵をなぞるとくすぐったいのかヒル魔が首をすくめる仕草をした。
まんざらでもなさそうな反応に気をよくして、そのまま舌を絡め口腔を弄る。
抱いた肌がやけにぽかぽかとしている。きっと体温が上がってきたのだろう。
先程までの硬直が嘘のようにしなやかに蕩けた彼の身体を強く抱き締める。
腕の中で大人しく身を預け、たまに我慢できないのかぴくりと肌が震えるのが愛おしい。
頬に手を添えてより深い口付けへと誘導する。
今まで我慢していた分、押さえが利かずに夢中で甘く貪った。

お互いの唾液が滴ってとろりと唇が滑る。
名残惜しげになんども顎や頬に口付けてからようやくクリフォードはヒル魔から唇を離した。
改めて見下ろすヒル魔の濡れた目元には鮮やかに透き通る朱が散ってむせかえるほどの甘香が立ち昇っている。
気まずさか恥ずかしさか、ヒル魔はすぐに俯いてシャツの袖で口元を拭った。

「あのさ」
やはりこのまま押し倒してしまおうかと物騒なことを考えていたクリフォードは、意を決したかのようなヒル魔の声に視線を落とす。
ヒル魔はおずおずと顔を上げてためらいがちに唇を開いた。


「俺、初めてなんだけど」


百も承知だ。
即答しそうになったがクリフォードは黙ってヒル魔の顔をじっと見つめた。
ヒル魔は困ったように視線を泳がせた。
「や、だからその…面倒だろ。…初心者とやるの…」
ようやくクリフォードはヒル魔の様子が腑に落ちた。
確かに一般的に処女童貞の相手を面倒に思う人間は多い。
しかもそういう人種は大抵遊びなれたような人間だ。
ヒル魔が留学に来ると聞いて身辺整理を済ませておいたとはいえ、ヒル魔に直接そのことを伝えたわけでもないのでこちらをただの遊び人か何かだと思っていてもおかしくはない。
だから未経験だとばれたら疎まれるかもしれないと思ってぎこちなくなっていたのだろう。
つまりそれはヒル魔としてもクリフォードに離れて欲しくはないということだ。
あまりの可愛さに思わず回した腕に力が入る。

ぎゅっと細い身体を抱き締めて髪を宥めるように撫でながらクリフォードは口を開いた。
「いいか、なんで面倒なのか教えてやる。未経験ってことは誰とも付き合ったことがない、付き合い方自体を知らないということだ。相手との距離の取り方、気持ちの伝え方、怒り方、許し方、付き合うという行為すべてを一から教えてやる必要がある。セックスだけじゃねぇんだよ、面倒なのはな。だから、ただ楽しみたいだけの人間は経験の有無で相手を選別しようとする。分かるか」
ヒル魔の顔は見えなかったがこくりと頷くのを感じてから言葉を続ける。
「俺は今までにお前を面倒だと思ったことは一度もねぇよ」
後は自分で考えろといわんばかりに告げるとヒル魔はしばらく迷っていたようだが、ようやく小さい声で分かったという返事が返された。

返された言葉に満足して、そのまま髪をなでているとヒル魔が顔を上げた。
やっとぎこちなさも抜けていつもの強気な瞳に戻っていたので安心する。
「未経験の奴とか、センセー嫌がるかと思った」
「…付き合う前から分かってたからな…」
「ほんとーに後悔しねぇな?」
「するわけねぇだろ」
ヒル魔はほっとした顔をすると、気持ちを切り替えるかのように勢いよく立ち上がった。
そうしてクリフォードの手を引くのでクリフォードも大人しく立ち上がる。
ヒル魔はクリフォードの手を引いたまま部屋を出て、たまにヒル魔が泊まる時に案内する寝室へと向かった。
そうしてベッドにクリフォードを座らせると、その目の前でばさばさと服を脱ぎ始めた。

正直、面食らったといえばそうなのだが、ヒル魔は元々思い切りのいい性格だしどのみち押し倒してしまいたい気持ちに変わりはないので、クリフォードは黙ってヒル魔がシャツを脱ぎ捨てるのを見ていた。流石に下まで脱ぐのはためらわれたのか、ヒル魔は上半身を脱いだ姿でクリフォードの前に立ち、少し気恥ずかしそうにしながら身をかがめて口付ける。

そうして肩に手をかけると、ヒル魔はクリフォードをベッドに押し倒した。


これはクリフォードの人生の中でベスト3に食い込むほどの衝撃的な出来事だった。


「い、痛かったら言えよ?」

真顔で上から覗き込むヒル魔に最早返す言葉もなく、ただ唖然としながらヒル魔がシャツのボタンを外すのを眺めていた。
しかし性的というよりは興味津々といった感じでクリフォードの割れた腹筋を撫で回す様は、猫が前足で獲物にちょっかいをかけるような仕草に似て可愛らしい。
今ここで彼の重大な誤解を解いてしまえば、つまり猫と獲物の立場が実は逆だったと知ったらそれこそ脱兎の如く逃げ出してしまうのも容易に想像できた。
折角なのでクリフォードはヒル魔に体重はかけるなだの手で相手の髪を踏むなだの適当にレクチャーしてやる。そうして頃合を見計らって手本を見せてやると言いながらくるりと身体を反転させるとヒル魔は大人しく組み引かれた。

その後はもう、口付けてとろとろに蕩かして反抗する気も起きないほどに昂ぶらせ、本当にいいんだな?という言葉に何度も頷かせてからようやく身体を繋げた。覚えたての快楽に溺れながら爪を立て脚を絡ませる小さな身体がただ愛おしかった。


翌日クリフォードの腕の中で目を覚ましたヒル魔は落ち込んでいるようだった。
充分に気を使ったとはいえ少々刺激が強かったかもしれないと、抱き寄せて髪を撫でればヒル魔は意を決したように顔を上げた。

「俺、次はがんばるからっ」

抱き締めた恋人からの問題発言は二人で迎えた初めての朝という幸福感を若干吹き飛ばした。とはいえ元々ノーマルなヒル魔がこう言うのは純粋にクリフォードへの好意からに他ならない。あえて挫くような事を告げる必要もないだろう。

できればそんな次がこないことを願いながら、クリフォードは返事の代わりに甘く口付けた。