長い毛足の白いラグの上で贅沢に手足を投げ出してケルベロスが寝息を立てている。
その頭は同じく投げ出された主の脚の上に乗せられている。
ヒル魔はケルベロスの重さも気にせずにうつぶせに寝転がってノートパソコンを操作していた。
キーを打ち込む音は聞えないし、そもそもそんな崩した格好でパソコンの前にいるので、恐らく適当にネットでもしているのだろう。
時折ケルベロスを乗せていない方の脚がふわりと宙を切ってはふわりと下ろされる。
それは、長いシッポを持つ生き物がたまにその尾をぱたりと揺らす様に似ていた。
ふと、ケルベロスが頭を持ち上げる。
一度主を振り仰いでから立ち上がって座りなおした。
ヒル魔は脚の重みが消えたことに気がついて状態を起こし振り向くと、座ったまま尾をぱたぱたと揺らすケルベロスを見て手を伸ばし、頭を撫でると立ち上がって玄関へと歩き出す。
もちろんケルベロスもその後を跳ねるように付いていった。
玄関の鍵を開ける音とドアが開く音がして、すぐにヒル魔だけリビングへと帰ってきた。
ケルベロスはきっと自主的に散歩にでも出かけたのだろう。
ヒル魔は投げ出されたままのパソコンには見向きもせず、ソファーに乱雑に座って脚を投げ出す。
先客である赤羽のすぐ横で。
「よく分かるね」
「何?」
赤羽は衝撃でソファーから滑り落ちたいくつかの楽譜を拾い上げながらため息を零す。
隣ではヒル魔がもう一度何が、と促してくる。
「ケルベロス。今外に出してやっただろ。散歩に行きたいなんて、よく分かるね」
「アイツは分かりやすいぞ。単純だからな」
そういうとヒル魔は、少し考えるような表情で赤羽の顔を覗き込んだ。
「どっちかってーと、てめぇもあんな感じ」
「僕が?」
思わずすぐに聞き返す。
赤羽は割りと感情が表情に出ないタイプだ。
自分の感情を言葉で伝えることすらあまりない。
普段から何を考えているか分からないと周囲に嘆かれることも多い。
だから、ヒル魔が分かりやすいと言うのが意外だったのだ。
ヒル魔は楽しげに笑いを堪えながらソファーに寄りかかる。
「そう、吠えるわけでも纏わりつくわけでもねー。でも分かりやすい」
「そうかな…」
「犬っぽい…くくっ…てめぇ犬っぽいな」
いよいよ本格的に肩を震わせている。
何がそんなにツボったのか分からないが、ヒル魔は続けて単純で忠犬だと笑いながらいう。
「いや、イイコトだぞ。飯作ってご主人様のお帰りを待つ犬なんてそうそういないからな」
確かにシンプルに赤羽の日々の日課を言い表すと間違ってはいない。
いないのだが何か赤羽は釈然としない。
ヒル魔にとって、言葉だの表情だの、そんなものなくてもその思考を読めばいい。
ケルベロスに関してはそうだ。
今日は朝から家にいた。餌も昼寝の前にやった。
だから、ケルベロスが夢から覚めた時、残された選択肢的に外で遊びたくなったのだろうと思って外に出してやったのだ。
人間はそれよりも少し複雑だが、その纏う空気、正確には雰囲気だが、それらと本人の性格や志向まで加味すればある程度は分かる。
いつも傍にいる相手なら、その僅かな空気の変化だけで。
人の本当の感情はそこにある。
ある程度知っている相手ならば、それ以外のものなんてない方がヒル魔にとって楽なのだ。
世の中には笑顔と優しい言葉で信じられないような嘘を奏でる人間も多いから。
それに、赤羽は確かに表情に感情は載せないが、彼がよく弾くギターの調べにはそれが極端なほどに出る。
あまり音楽に詳しくないヒル魔ですら分かる程に。
それが赤羽にとってのフォローになり得ることを分かりながらあえてヒル魔はただ赤羽が単純だからと告げた。
彼の空気が少し変わるのが面白かったから。
それが、自分以外は気がつかない程の些細な変化であればある程。
ヒル魔はまだ楽しげに笑いながら赤羽の顔を覗きこむ。
「何考えてんだか分かんねぇって言われるよりいいじゃねーか。てめぇの気持ちはオレにちゃんと伝わってるっつーこった」
「僕の気持ちが?例えばどんな?」
「ご主人様大好き〜っていう気持ちが」
耐え切れなくなったのか、ついにヒル魔は体を丸めて笑い出す。
その様子を見て赤羽が小さくため息を漏らした。
ようやくからかわれていると分かったが、それが心地よいのは何故なのか。
赤羽は笑いが収まってきたヒル魔の方に向き直ると、その手を掴んで引き寄せた。
やや強引だったせいか、ヒル魔はバランスを崩し真っ直ぐ赤羽の腕の中に納まる。
「何すんだよ」
「君の、言っていることは正しい」
「あ?当たり前だろ」
赤羽はヒル魔の背に腕を回して強く抱き締めた。
すぐに小さく身じろぎして離れようとするヒル魔の髪を撫でて宥める。
「好きだ」
途端にヒル魔の一切の動きが止まる。
赤羽はもう一度、ヒル魔の耳元に唇を寄せて囁いた。
「ヒル魔、好きだよ」
ヒル魔からの返事はなかった。
赤羽は、今まで殆どヒル魔に対してそういう言葉を告げたことはない。
一度だけ、二人がこういう関係になる前に告げたことはある。
いわゆる告白というものだが、それっきりだ。
それ以来、まさしく彼の言うとおり感情を言葉にも表情にも乗せずにいたのだ。
彼が何を思って自分が傍にいることを許しているのか。
その髪に触れられることを許しているのか。
理由なんて、聞かなくても分かる。
そしてそれは、きっと彼も同じだろうと。
だから、ささやかな反抗心で告げてみたその言葉は免疫がないせいか予想以上に効力があったらしく、腕の中のヒル魔はぴくりとも動かなくなってしまった。
いつも聡明な調べを奏でる彼の頭脳は、今は針を外されたレコードのように静かに空回るのみ。
ゆっくりとそのままソファーに押し倒してその顔を覗き込んでみる。
彼の顔は予想以上に赤かった。
思わず、赤羽の方が動揺するくらいに。
「急に、何いって…」
蒼い瞳を伏せたままどうにか反抗しようとヒル魔が口を開いた。
だが最後の方はかすれて聞えない。
触れ合う身体はいつもよりも熱を持ってしなやかだ。
ほぼ無抵抗なのをいいことに、そっと頬を撫でるとびくりと大きく震える。
「君の言っていることは正しい。でも」
赤羽は赤く染まったヒル魔の長い耳に口付けながら言葉を続ける。
「万が一間違っていたら困るから、ちゃんと教えておかないと」
「いいっ、間違ってねぇし!つか離せ!」
染まった頬を更に赤くして反論するヒル魔の唇に口付けて塞いでしまう。
薄い熱い舌にそっと絡めると、それだけでヒル魔の背がしなった。
「…飼い犬に手を噛まれた気分だ…」
熱を帯びた声で忌々しげに吐き捨てても意味がない。
見上げた赤羽の瞳は赤く、眩暈がしそうなほど強く。
「さっそく間違っているじゃないか、ヒル魔」
そんな酷いことするわけがないと、彼の指が穏やかに金髪に絡む。
諦めて双眸を閉ざすヒル魔の唇に何度でも口付けを。
「ねぇ君は、言葉で教え込まれたい?」
それとも、動物的な、原始の愛で?
沈黙は全てへの肯定だと受け取って。
彼の指を優しく食んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
リクエストは
「言葉で責めている(プレイ的な意味で)筈なのに、気付けば攻められていたヒル魔さん」
でした。
リクエストありがとうございました!!